スタッフブログ
2015年5月 1日 金曜日
松下 幸之助名古屋市瑞穂区の半日デイサービスならアクア介護サービスへ
おはようございます。
横田です。
昭和の大経営者である松下幸之助。
彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。
しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか?
松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しいと今日は思います。
人は、ある存在の意志によって、必然的にこの世に生まれてきたという考え方もあるけれど、通常的に考えれば、偶然生まれ、生き、偶然に死ぬということでしょう。
自分の意志で生まれてきた人はいないし、自殺以外、自分で死にたいという意志で死ぬわけではない。
いわば、偶然と偶然の間で人は生き、だからこそ、必然を求めようと努力する。
その努力こそが、人生を充実したものにするということになるだろう。
人生の根底は、偶然が川の水のように流れているように思う。
昭和54年(1979)8月、松下幸之助から、夜中の1時頃に電話がかかってきた。
「別に用事はないんやけど。ちょっとイライラしてね。それで、電話したんや。まあ、疲れのほうは、大丈夫や。心配せんでええで。わしは、そう簡単に死にはせんよ。わしは、身体が弱かったからな。何度か、もうダメやなと思うようなことに出合ってきたけどね、その都度、不思議に生きぬいとるんや。
だいたいな、戰(いくさ)しとってな、矢玉が飛んでくる。そのなかで矢玉に当たる大将もおれば、同じようにしていながら、矢玉に当たらん大将もいるんや。わしは、矢玉に当たらんほうや。そういう運命というか、運が強いわけやな」
松下が、自分は運が強いと思っていたことは確かだ。
人間は、運があるかどうかによって、人生が決まってくると考えていました。
それが運命ということになるでしょう。
しかし、だからといって、運がすべてかというと、ある重要な部分は、人間の努力、熱意によって、人生を変えることができる、運とか運命を動かすことができるという考えも強く持っていたように思います。
「これも、ふっといま思ったんやけどな。今日までの自分を考えてみると、やはり、90%が運命やな、運やな。」
人生のすべてが己の意のままではない
「日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも、わしの意志ではない。たまたま、偶然に生まれてきた。生まれた家も、環境も、いわば運命や。わしが決めたものではないわな。
電気屋の仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったから、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街におった。特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことやな。
そういうことを考えてみると、人間は、ほとんどが運命やと、つくづく感じるな。もっとも、わしのこういう考えに反対する人もおるやろうけど、その人は、なかなか力強い人であると。人間には運はない。運命なんかない。すべてその人の力であると。実力であり、努力が人生のすべてを切り拓(ひら)く、と考える人もおるやろう。まあ、そこまででなくとも、努力が大きいと。そう考える人も多いやろうな。
けどな、そう考えるとすれば、人間は、努力すれば必ず成功するということになる。しかし、実際には、決してそういうことではないわね。人生、すべて己の意のままに動かせるということはない。それは、ひとつの運命をそれぞれ担っておるからやな。
成功するためには、努力しなさいという。そして、一生懸命努力したと、あの人と同じように努力したと。けど、あの人は成功したけど、自分は失敗したと。そういう場合もあるな。それは努力が足らんかったとは言い切れんことがある。ひとつの運命として考えんといかんかもしれん。
しかし、それならば、努力せんでいいのか、汗を流さんでいいのかということになるけどな。また、これも間違いや。
肝心なところは、結局人間に任されている
わしは運命が100%とは言っておらん。90%やと。実は、残りの10%が人間にとっては大切だということや。いわば、自分に与えられた人生を、自分なりに完成させるか、させないかという、大事な10%なんだということ。ほとんどは運命によって定められているけれど、肝心なところは、ひょっとしたら、人間に任せられているのではないか。
たとえば、船があって、自分が大きい船か、それとも小さい船か、それはそれぞれの人にとっての運命かもしれんが、肝心の舵のところは人間に任せられておると。無事その船が大海を渡り、目指す港に着くことができるかどうか。その10%が、その舵の部分であるということやな。
鷹がスズメになろうとしても、スズメが鷹になろうとしても、それは運命であって、変えることはできんな。けど、鷹は鷹なりに、スズメはスズメなりに一生懸命生きる努力はせんといかん。そこに、それぞれが成功する道も開けてくるんやな。
だから、運命が、運が90%だから、努力せんでいいということにはならんね。そして努力したから必ず成功すると考えてもあかん。しかし、成功するには必ず努力が必要なんやと。
そういうことを、きみ、理解しておれば、自分に与えられた人生を謙虚に受け入れ、かつ力強く歩いて行くことができるよ」。
松下の話は、真夜中、2時間ほど続いた。
アクアにも、4月から新入社員が入って今日で1か月になります。
少しでも早く仕事を覚えようと毎日一所懸命、仕事をしています。
アクアで沢山の事を経験し、失敗し、学び、成功し与えられた人生を力強く歩んでいける様
私は、指導していきたいと思っています。
他のスタッフだって最初から仕事が出来たわけではありません。
少しずつ色々経験を積み重ねて今の皆がいます。
慌てず、焦らず、自分のペースで仕事を覚えていけばいいと私は思います。
私には松下氏のようなリーダーシップは全く無いですが与えられた運命、人生、そして出会ったスタッフ、患者様を精一杯幸せにできる様に心がけて毎日生きていきたいと思っています。
横田です。
昭和の大経営者である松下幸之助。
彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。
しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか?
松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しいと今日は思います。
人は、ある存在の意志によって、必然的にこの世に生まれてきたという考え方もあるけれど、通常的に考えれば、偶然生まれ、生き、偶然に死ぬということでしょう。
自分の意志で生まれてきた人はいないし、自殺以外、自分で死にたいという意志で死ぬわけではない。
いわば、偶然と偶然の間で人は生き、だからこそ、必然を求めようと努力する。
その努力こそが、人生を充実したものにするということになるだろう。
人生の根底は、偶然が川の水のように流れているように思う。
昭和54年(1979)8月、松下幸之助から、夜中の1時頃に電話がかかってきた。
「別に用事はないんやけど。ちょっとイライラしてね。それで、電話したんや。まあ、疲れのほうは、大丈夫や。心配せんでええで。わしは、そう簡単に死にはせんよ。わしは、身体が弱かったからな。何度か、もうダメやなと思うようなことに出合ってきたけどね、その都度、不思議に生きぬいとるんや。
だいたいな、戰(いくさ)しとってな、矢玉が飛んでくる。そのなかで矢玉に当たる大将もおれば、同じようにしていながら、矢玉に当たらん大将もいるんや。わしは、矢玉に当たらんほうや。そういう運命というか、運が強いわけやな」
松下が、自分は運が強いと思っていたことは確かだ。
人間は、運があるかどうかによって、人生が決まってくると考えていました。
それが運命ということになるでしょう。
しかし、だからといって、運がすべてかというと、ある重要な部分は、人間の努力、熱意によって、人生を変えることができる、運とか運命を動かすことができるという考えも強く持っていたように思います。
「これも、ふっといま思ったんやけどな。今日までの自分を考えてみると、やはり、90%が運命やな、運やな。」
人生のすべてが己の意のままではない
「日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも、わしの意志ではない。たまたま、偶然に生まれてきた。生まれた家も、環境も、いわば運命や。わしが決めたものではないわな。
電気屋の仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったから、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街におった。特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことやな。
そういうことを考えてみると、人間は、ほとんどが運命やと、つくづく感じるな。もっとも、わしのこういう考えに反対する人もおるやろうけど、その人は、なかなか力強い人であると。人間には運はない。運命なんかない。すべてその人の力であると。実力であり、努力が人生のすべてを切り拓(ひら)く、と考える人もおるやろう。まあ、そこまででなくとも、努力が大きいと。そう考える人も多いやろうな。
けどな、そう考えるとすれば、人間は、努力すれば必ず成功するということになる。しかし、実際には、決してそういうことではないわね。人生、すべて己の意のままに動かせるということはない。それは、ひとつの運命をそれぞれ担っておるからやな。
成功するためには、努力しなさいという。そして、一生懸命努力したと、あの人と同じように努力したと。けど、あの人は成功したけど、自分は失敗したと。そういう場合もあるな。それは努力が足らんかったとは言い切れんことがある。ひとつの運命として考えんといかんかもしれん。
しかし、それならば、努力せんでいいのか、汗を流さんでいいのかということになるけどな。また、これも間違いや。
肝心なところは、結局人間に任されている
わしは運命が100%とは言っておらん。90%やと。実は、残りの10%が人間にとっては大切だということや。いわば、自分に与えられた人生を、自分なりに完成させるか、させないかという、大事な10%なんだということ。ほとんどは運命によって定められているけれど、肝心なところは、ひょっとしたら、人間に任せられているのではないか。
たとえば、船があって、自分が大きい船か、それとも小さい船か、それはそれぞれの人にとっての運命かもしれんが、肝心の舵のところは人間に任せられておると。無事その船が大海を渡り、目指す港に着くことができるかどうか。その10%が、その舵の部分であるということやな。
鷹がスズメになろうとしても、スズメが鷹になろうとしても、それは運命であって、変えることはできんな。けど、鷹は鷹なりに、スズメはスズメなりに一生懸命生きる努力はせんといかん。そこに、それぞれが成功する道も開けてくるんやな。
だから、運命が、運が90%だから、努力せんでいいということにはならんね。そして努力したから必ず成功すると考えてもあかん。しかし、成功するには必ず努力が必要なんやと。
そういうことを、きみ、理解しておれば、自分に与えられた人生を謙虚に受け入れ、かつ力強く歩いて行くことができるよ」。
松下の話は、真夜中、2時間ほど続いた。
アクアにも、4月から新入社員が入って今日で1か月になります。
少しでも早く仕事を覚えようと毎日一所懸命、仕事をしています。
アクアで沢山の事を経験し、失敗し、学び、成功し与えられた人生を力強く歩んでいける様
私は、指導していきたいと思っています。
他のスタッフだって最初から仕事が出来たわけではありません。
少しずつ色々経験を積み重ねて今の皆がいます。
慌てず、焦らず、自分のペースで仕事を覚えていけばいいと私は思います。
私には松下氏のようなリーダーシップは全く無いですが与えられた運命、人生、そして出会ったスタッフ、患者様を精一杯幸せにできる様に心がけて毎日生きていきたいと思っています。
投稿者 アクア鍼灸接骨院 | コメント(0) | トラックバック(0)
コメントする